ダーテ・ど根性忍伝_【志師塾交流会用】 210526 インタビュー by ヨットさん(西畑 良俊氏)

 

先月、志師交流会「クラスS」にご入会いただき、
来年には、「ソフトバンクアカデミア」にて、孫正義さんに直接、帝王学を学び、
今後、先生業から事業家への道を歩む想いのある、
ダーテさん、こと、伊達万祥(かずよし)さんにお話を伺いました。

ダーテさんには、お師匠さんがいるそうです。

その方から、「将来は事業家になる」と言われたというダーテさん。

「先生業も好きで始めたけれど、これからの世の中に必要なインフラ事業(社会の基盤・企業の基盤」を、
人から非難されようが、冷や水をかけられようが、整備していきたい」

全ては、喜び溢れる楽しい社会を創るため

と言われていました。

ダーテさんの作りたいプラットフォームとは、

人が進歩発展し続け、物心両面で豊かになる基盤

だそうです。

将来的には、

「先生業の方々を巻き込みながら事業化していきたい」
「アイデアを持っている方と一緒にやっていきたい」
「女性で起業してもっとやっていきたい方を応援したい」

とのことですので、興味のある方はぜひ、ダーテさんと繋がってくださいね

【今のお仕事のきっかけ】

現在は、利益が未来につながる経営基盤整備のコンサルタントとして活躍されているダーテさん。

これまでは、先生業として、セミナーや講演、コンサルをしてこられました。

ある時、セミナープロデュースの仕事を3件ほどこなし、
「自分は裏方に回ったほうが光る」
と気づいたそうです。

そこから、「光を当てる側に回る」意識で、お仕事をされるようになりました。

そんなダーテさんは、

何で人は生まれてきているのか?」という問いに対して、

「命のらせん」

という答えを持って生きているそうです。

つまり、「世の中を進歩発展させるために人は生きている」ということ。

時に、次の時代の犠牲になる精神が必要になることもある。

生きるにおいて、「大きな視点」から物事を眺めることの大切さを、常に意識しているそうです。

【弱音を言えるようになったきっかけ】

ダーテさんと言うと、

自分はこれが苦手だから、補ってくれる人と協業したい

と、発言する姿が交流会での印象に残っています。

しかし、そんな風に発信できるようになったのは、つい最近のこと。

盛和塾と志師塾と師匠のおかげだそうです。

盛和塾で、心を高めるための哲学を学び、
志師塾で「山谷を言いましょう」と言われ、
かつて、蓋をしていた、アメリカでの失敗、
真冬のニューヨークでホームレスになった体験までを、
人前で話せるようになっていったそうです。

とはいえ、最初は、言えたのは、ビジネスの商談時の話だけでした。

それが少しずつ、プライベートにまで広がっていき、
昨年、お父さんが亡くなってから、誰にでも言えるようになっていったそうです。

というのも、長男と言うことで、先祖からの遺産が、有無を言わさず理不尽に降りかかってきました。

精算するためには、専門家を頼らないといけません。

自分を大きく見せている余裕なんてありませんでした。

負の遺産を清算し、会社も縮小、家も小さくなりましたが、「何かが大きく変わった」そうです。

そして、最後に、師匠からの言葉で、
失敗や苦手、弱みなどを言えるようになっていったそうです。

(とはいえ、聞かれなきゃ答えない、自分からどんどん話したりしないのがダーテさんの魅力です)

【根っこが常にポジティブな理由】

そんな、ネガティブな体験をしたとは思わせないダーテさん。

その秘密は何かあるのかと聞いてみたら、実は、幼少期の体験に原因があったそうです。

というのは、ダーテさん。

生まれたときから、骨盤に大きな穴が空いていて、走れない状態、走れない体だったそうです。

五体満足ではなかったということです。

将来的に、骨が自然治癒力で埋まらなければ歩けなくなる」と言われて大きくなったダーテさん。

無事に、骨は埋まり、最後は手術をして、
今では無事に日常生活に支障なく、過ごせるようになっています。

ダーテさんを支えてくれた家族への感謝が、ダーテさんの価値観の根底にあります。

そして、昨年。

おばあちゃん、おじいちゃん、そして、お父さんと、3人が立て続けに亡くなりました。

それらを整理するところから、大転換が始まった、と言われていました。

「現代は、一人一人がヒーローになる時代」
「覚悟を決めて、自分の人生を生きることが大事」

と言われていました。

「艱難汝を玉にす」

頭ではわかっていても、実際に経験したことのある人だからこその、
言葉の重みを、感じた瞬間でした。

【ダーテさんの高校時代】

中高時代は、奈良の智弁学園で、勉強漬けの毎日だったそうです。

とはいえ、人と違うことを好むダーテさん。

勉強はほとんどしていなかったそうです。

高校1年の夏。

夏休みに実施される、オーストラリアへの短期留学の説明会に参加した時のこと。

説明を担当していた先生が、チラッとダーテ青年の方を見て一言。

成績悪い奴は連れていかへんからな

その言葉に、帰宅後、涙を流しながら、

「バカにされた! 絶対に許さへん! 見返してやる!」

と覚悟を決めたダーテさん。

短期間で成績を上げて、無事にオーストラリアへの短期留学を実現させました。

「浮き沈みが激しく、人を見返していく子どもだった」とダーテさん。

義憤の力、憤りの力をエネルギーに変え、自分を育てていくタイプなのかもしれませんね。

【大学時代の思い出】

早稲田の文学部の指定校推薦を蹴って、「理学部・情報系の学部に行きたい」と神戸大を受験。

受験には失敗をして、関西学院大学に入学をしたダーテさん。

新しくできた学部、新しい校舎、先輩のいない環境に、楽しい日々を過ごしました。

とはいえ、PCやプログラミングの細かな作業が面倒くさいと思いながら、
テニスサークルの仲間と楽しく遊ぶ日々を過ごします。

そして、すごくお世話になった先輩方が卒業される2回生の追い出しコンパ。

100人のサークルで、周りのメンバーの「めんどくさい」という大反対もありながら、

先輩たちの花道を最高のものにするんや!

と、プロデューサー業務に邁進します。

結果、キャンプ場での追い出しコンパは大成功。

みんなも大感動。

今も続く、そのサークルの一大イベントになっているそうです。

ただ、ダーテさんは、さらっとやってしまう、
終わった後も、「○○が大変だった」「○○で苦労した」と一切言わないそうなので、
周りの方からすると、鼻につく、
ちょっと嫌な存在だったかもしれない、と言われていました。

【新社会人時代の思い出】

新入社員時代も、同じような出来事が起こります。

クレジットカード会社のシステム管理・IT基盤整備、という言葉に魅かれて入社したダーテさん。

大好きな上司にものすごくかわいがってもらいながら、
1言われたら100やってしまう存在として、
部長や次長にはかわいがられる存在として、
一方で、ちょっと上の先輩だと鼻につく存在として過ごしていました。

大好きだった上司が異動になってから、「伊達しばき」が始まります。

上場企業なのにも関わらず、
会社で取っ組み合いのけんかをしたこともあったそうです。

今のダーテさんからは、想像もつかないですね。

しばきの張本人で相性が悪かった先輩が異動になり、
他の方も部署異動や転職で頼れる方たちが少しずついなくなりました。

そんな時、10年に1回のスーパーコンピューターの入れ替え作業を任され、
しれっとやってしまったそうです。

それが終わったら、ニューヨークに行こうと決めていたので、

「何も武器がない状態じゃまずい」

と思い、中小企業診断士の資格取得に向けて、勉強を始めました。

それまで、遊びながら仕事をしていたというダーテさん。

飲み会やコンパにもほぼ毎回参加していた男が、
急に、一切行かない状態になり、朝から晩まで勉強漬けの生活を送ったそうです。

周りの全員からは白い目で見られながら、
時に、「お前、まだ勉強なんかやってんの? 絶対無理だよ」というひどい言葉をかけられながら、
勉強をし続け、1年で無事合格。

合格したので、アメリカ行きのチケットを取り、アメリカへ旅立って行ったそうです。

【最後に】

最後に、ダーテさんは、こんなことを言われていました。

挑戦、挑戦。バカにされながらも挑戦し続け、その前には誰も歩いていない道を創り続ける。
その結果、自分が整えた道を、たくさんの人が安心して当たり前のように歩いてくれる。

「万祥(かずよし)」という名に込められた、先祖の願いでもある、

「迷える羊たちを導き、遍く愛しみを与える者」としての変革と忍耐の人生を完遂する。

そんな人生を歩み続けるダーテさんから、目が離せません。

本当に、温かなダーテさんが、志師交流会「クラスS」に入ってくれて、
「クラスD」のメンバーとも交流を深めてくれていることに
心から感謝の気持ちでいっぱいになった、今回のお話でした。

ダーテさん、ありがとうございました!